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ナンプレの歴史は1979年5月に、ニューヨークの出版社デル・マガジン社から 「Dell Pencil Puzzle and Word Games」マガジンに「Number Place」という名前で掲載されました。 アメリカ人建築家ハワード・ガーンスが匿名で考案したものです。
ナンプレはラテン方陣にルーツがあります。ラテン方陣は
1 | 2 | 3 |
2 | 3 | 1 |
2 | 1 | 2 |
1 | 2 | 3 | 4 |
2 | 3 | 4 | 1 |
3 | 4 | 1 | 2 |
4 | 1 | 2 | 3 |
のように各行と各列に同じ数字が出ないようにするパズルで、これで数字の量を増やしていけば複雑になります。
この3×3のラテン方陣をさらに3×3で組み合わせたのが「ナンバープレイス」です。
1984年にパズル制作会社二コリが「ナンバープレイス」を「数字は独身に限る」と名付け日本で紹介しました。
「数字は独身に限る」は「数独」と名前を短くし、ヒントマスも少なく対称のパターンが作られたりと進化をとげ
日本でたちまち有名になります。「数独」という名前はニコリが商標登録しているので、
日本ではこのパズルをニコリ以外は「数独」という名称で販売することはできません。一般名詞の「ナンバープレイス」を使います。
この「ナンバープレイス」を短く省略したものが「ナンプレ」です。(日本以外では商標登録されていないのでSudokuという名前を使うのはOK)
この「数独」が日本で流行った頃はヨーロッパではほとんど注目されていませんでした。
2004年パズルファンだったウェイン・ゴウルドが日本のパズル雑誌を買い「数独」と出会います。
そしてウェイン・ゴウルドの紹介でイギリスの「The Times誌」に2004年11月12日に最初のSudokuが掲載されました。
以後、イギリス国内、そしてオーストラリア、ニュージーランドのメディアへと広がりました。
2005年、Sudokuは New York Post で掲載され、マンハッタンでもブームになりました。
7月11日、The Daily News や USA Today で掲載されると、アメリカ全土にもブームをもたらします。
1979年に生まれてから日本やイギリスで大きくなり再び日本に帰ってきたわけです。26年経っていますね。
2006年3月、世界Sudoku選手権大会が開かれています。